ha-ru 56/digital all day
- 2007/03/31(Sat) -
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 また、雪・・・。朝のうちは雨だったのに、8時過ぎ頃からみぞれになって白い大きなボタボタ雪に変わっていった。
 何かプリンターの調子が悪くて今年になって2度修理に出したが、今回は紙が一気に4~5枚ほど吸い込まれていってしまう。一枚一枚印刷すればいいんだが、いつもこの時期にはラ・ポーム関連の文書やら何やらで100枚以上大量にプリントしなければならなくて、そんなことやってらんない。なんか最近の月末は、いつもプリンター関連のトラブルに見舞われているみたいだ、クソ。このプリンター、もう寿命なのかな、A3ノビを買ってデジカメで撮った写真を大きく伸ばそうとワクワクしながら無理して手に入れたプリンターだったけど、A3ノビには一度も伸ばしたことが無くてA3にしたのも15枚あっただろうか・・・。
 結局、A3とかに大きく伸ばすと額とかも新規で買わなくてはならなくなるし、インク代もスンゲーかかるから、結局しないんだよね。ま、写真展を開くとかの目標でもあれば違うだろうけど、普段使う分にはA4のプリンターがあれば十分ってことかな。
 で、いつぶち壊れてもいいように知り合いからA4のプリンターを拝借して万が一に備えようとしたのだが、こいつがうまく動かせない。事務所には2台のパソコンがあって、一台は直につなぐからうまく動くのだが、もう一台がモデムだかルーターとかいう奴とつながっていて、そっちから印刷しようとしても何回やってもできないのだ。電話で盛岡のミノル君に聞いても何しゃべってるかさっぱりわからんちょ。デジタル機器というものは最初から最後まで正しく進行しないと正しくできない融通の利かない馬鹿だから、どうもオレには性が合わない。あのプラモデルと一緒だ。めんどくさがって途中を端折ると正しく形にならないのだ。あの命令されているような順番を指示されるというような形態はスカン。何度思ったことか、組み立てるプラモデルではなくて、出来上がったプラモデルが欲しいと・・・。オレは理論家でも理知派でもなく、何度も言うが芸術派なのだ。途中であっち行きこっち行きしながら真理を探究するのが好きなのだ、さ。
 そんなこんなして、何とか午後になってからうまくつながった。実際に印刷に使った時間よりもセッティングの方に多くの時間を要したという、これもいつも通りの展開だった。こういうのが一番疲れる・・・。
 さて本日、携帯デビュー。高校に合格したら買ってくれると約束していたのだ、ってそれは晴美で、オレは何の理由もない。ま、強いて言えばソフトバンクのホワイトプランだと、毎月980円で済むから。何でもホワイトプラン同士だと日中タダで、他の電話にかけるときにだけお金がかかるとのこと。指先で神経質に米つきバッタみたいにメールする気もないし、わざわざ携帯で電話をかける必要もないから、ま、連絡を受けるための専用電話だなこれは。東京とかへ行ったときはかけるかもしれないけれどね。普段はほとんど店番だから家電(いえでん)とパソコンのメールで足りるしね。
 でもさ、盛岡のミノル君とグチグチしたり、今日みたいにパソコンのことを聞くときの長電話する時に使えば、かなり電話代が浮くっていうメリットは見逃せないな・・・。
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ha-ru 55/snowy
- 2007/03/30(Fri) -
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  昨日は、朝から雪。盛岡で16㎝、区界で20㎝も積もったとか。例年は盛岡より雪の多い北上なのだが、今年はずっとそういう傾向で昨日も盛岡よりずっと少なくほとんど積もらなかった。
 朝から真っ暗で寒くて犬の散歩も中止だし高速道もストップ。季節外れの雪は、全てを止める。写真を撮ってもこんな感じでモノトーン、ベターっとしてメリハリもなくつまらない。写真を構成するのは光と影、だなやっぱり。
 このように、北国の春はまさに一進一退なのだが、何年かに一度暖冬だ暖冬だ今年は雪が少ない春は早いぞと騒いでいると、必ずこんなしっぺ返しが来る。冬にきっちり雪が降って夏は暑い、という年の方が自転車も売りやすいんだが、こんなお天気様状態が一番商売的に好ましくない。営業に訪れたM自転車のT氏も表情が全くさえず、史上最低の3月になりそうだ、とか。あと2日しかないから、確定かなそれは・・・。いわゆる、自転車の春需要というものが始まらずに、すでに終わってしまったカンジなのだとか。雪の少なかった1月とか2月に、例年よりも多少でも需要が多ければそれでプラマイゼロになるんだけれど、雪が降らなくても北国では自転車は売れないから、3月に売れないと結構きついんだなこれが。
 けれども天候に関わらずに、年々春需要というものが縮小しているのも事実だ。少子化もその一因だが、それよりも自転車というものが二の次三の次の存在になっているからだ。週刊少年誌の裏表紙に必ず自転車の広告があったのは遙か昔で、それでも子供たちの欲しいものの上位には常に自転車というものがあったのだが、今じゃ携帯とかゲームに取って代わり、自転車欲しい~といって親を無理矢理に連れてくるような子供はほとんど皆無になった。たいていが、仕方なく買っていく感じ・・・。自分がガキの頃は、自転車と万年筆がステータスだったから、まさに隔世の感、時代は変わる。
 ま、人ごとみたいに言っちゃてるし、天気が悪いのを売れないせいにするなとかの声も聞こえてきそうだけれど、ムリして市場を開拓するような活力も気力も最近、と言うかもともと無くて、何とかセールとかDMとかネット通販だとかも一切なしの「欲しければ買えば」のスタイルだし、基本的にやっぱりお天道様にはかなわないと思っちゃってるから、しかたねー酒でも呑んで寝よっと・・・。
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ha-ru 54/try
- 2007/03/29(Thu) -
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 昨夜は同級生の集まりだった。恒例の毎月28日に集まる「28会」で、場所はこれもいつもの「渡来」。
 7時頃から三々五々集まって、終わったのが12時。またしても5時間も居座ってしまった。12人のメンバーのうち11人が集まって出席率もいつも通り最高、呑んで食って騒いであっというまに時間が経過した。世間話に花が咲いたが11人のうち景気のいいのは一人もいなくて、とっても勇気づけられた(?)。
 ISO1600でノンストロボでの撮影だったが、F3.5~5.6なんてクソみたいに暗い安レンズでは1600でもシャッター速度はろくに稼げない。またマクロ機能があるとしてもボケは汚いし、まるでコンパクトデジカメで撮ったような絵になってしまうな。やっぱりこんな場合は、50㎜F1.4とか105㎜F2.8マクロとか持っていかなければならなかったんだな・・・。
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ha-ru 53/special friend of mine
- 2007/03/28(Wed) -
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 雨が降って撮影できなかったときとかに紹介しようと思って、このA4版のチラシをスキャンした。3つに折られて郵送されてきたから折り目もクッキリ付いていたので、丹念にフォトショップで消した。そしたらビックリ、午後になって本人がひょっこりと店に顔を出したのだ・・・!!
 彼と自分は高校の同級生で、吹奏楽部に所属し一緒にクラリネットを吹いた友人。同級生で男のクラリネットは二人だけだったのでいつも一緒に練習し、練習以外にも色々と仲良くさせてもらった。高校3年の時に自分が退部騒ぎを起こしたときも、大多数の同級生が「辞めたければ辞めたらいいじゃない」という雰囲気になって見放したときも、一人だけ絶対にに反対して自分を理解しようとしてくれた。
 結局自分は残留して、お詫びのつもりで誰もやりたがらなかった新規導入のE♭クラリネットに転向し、同じ楽器を吹くことは無かったが、気持ちは十分に通じていた。
 高校を卒業して進路を決めるときに、彼は迷わず音大を選択した。自分も音大に行きたかったが受験科目にピアノがあって、選択する楽器以外にある程度ピアノを弾けなければ合格できないことを知り、やむなく断念した。日本はその時に、世界に誇る偉大なるクラリネット奏者を一人失った、というのは自分だけが思っていることで、そんなバカなと頭に来た自分はクラシックがダメならジャズだといつもの短絡思考で早稲田に進学し、当時学生ビッグバンドNO.1の「ハイソサエティジャズオーケストラ」に入部した。しかし、動機が余りにも短絡的だったためかとてもジャズバンドとは思えない体育会系的な「ローソサエティ」な運営の仕方に嫌気が差したためか単にもっと楽しいことが東京にはいっぱいあって誘惑に負けたのか定かでは無いが、イヤその全てが正解だろうが、2年と少しで退部してしまった。だから今にしてみると、エキストラで一度、天知真理のバック演奏をしたという想い出しか残らなかった。真理ちゃんのミニスカート姿を後ろから見れた幸せだけが残ったというわけだ。
 そして彼はひたすらに己の道を進み、音大卒業後にドイツに留学し、以降文字通りのフリーで音楽活動を続けている。
 人は生活の安定を求める。自由を欲しがるくせに生活のためだと言って組織に属し月々の決まった日の給料を求める。会社に不満を抱きながら上司に文句を言いながら安定した生活を求める。そしてあまつさえ退職後の安定した生活さえ設計する。そういった考え方が自由というものを語る資格を奪いシステムに組み込まれることだと知っていながら、公務員とか会社員とかになって一生を終える。自分は試行錯誤の上そういったスタイルを拒否して自転車屋の自営業を選択した。女房子供には悪いが、金の不自由さえ我慢すれば最低限の人間性を保持できると考えた。イヤな物は売らないし、理不尽な要求をしてくるメーカーとは取引しない、基本的に一人だから上司への不満も部下への優越も会社が悪いと言ったちんけな思考からも自由、自転車同業者の組合にも会費は出すが顔を出さない何故なら群れる必要が無いから・・・。できる限りシステムとか組織から遠ざかることが、今の世の中で一番大変だが重要で、それが結果的に自分を守ることだと今でも信じている。かつて全共闘は「連帯を求めて孤立を恐れず」と言って権力に立ち向かった。今の世の中は「連帯したいよ孤立が怖いから」の腰抜け野郎だらけで、申し訳ないが、そういったシッシーなマザコン男が大量繁殖してこんな日本になった。それは政治のせいでも経済のせいでもない。金魚鉢の中で穏やかに暮らして定期的に餌をもらうことに慣れてしまった長いものには巻かれろ的な人間が増えすぎたためだ。
 全ての諸悪の根源は、そして全ての個人の敵はシステム化とそのシステムの腐敗とによる。システム化、それはすなわち「ネズミ講」と同様の集金システムの形成であり、個人の囲い込み以外のなにものでもないのだ。
 政治・経済の窒息感閉塞感は言うに及ばずに、例えば一例を挙げるならば、日本のプロ野球のつまらなさなどがその典型であろう。
 日本のプロ野球がスポーツの醍醐味よりも歌謡ショー並の興業に堕してしまったのは、全てがこのシステム化による。
 まずは、ドーム球場の乱立だ。これこそ経済優先主義の最たる産物で、あのアメリカでさえここまで露骨に商売優先にはしていない。アメリカ人は、野球は青空の下で星空の下で見るのが楽しいのだ、ポップコーンをかじってビールを飲んでね。ところが日本の箱庭大好き商売主義は、観客から青空と星空を奪い、その代わりに空調の行き届いた人工芝の鮮やかな快適な空間を提供した。簡単に言うならドーム球場のメリットは、天候に左右されずにスケジュールがこなせるということだから、それはすなわち商売優先主義であり、選手優先主義・お客様優先主義ではない。そして巨人を筆頭にディゲームを減らし全てナイトゲームにした。仕事を終えた後に見れるように、ってね。これってしかしスポーツではなく、ただの興業でしょ、違う? そして選手はいわば演歌歌手と同列、しかも夜遅くまでダラダラ試合して夜中に飯を食うような生活を強いられるから、とてもスポーツ選手とは言えない体型になる。全てが商売優先のシステム化がこのような結果を生む。今回発覚した専北を含むアマチュア選手への裏金事件などは、そのシステム化・囲い込み化の延長線上にあると言っても過言ではないだろう。すでにプロ野球というシステムは疲弊し腐敗し、因って観客は興味を次第に失いつつある、と言うことなのだ。決してサッカー人気が影響しているのではない。サッカーも早晩同じ轍を踏む。
 今日の彼の話では、いや自分もとうの昔に気付いているのだが中学高校の吹奏楽の現場でさえ同様で、楽器メーカーと一部の音大がシステムを形成し「吹奏楽コンクール」なるものを毎年開催。世の中にはため息の出そうな名曲がそれこそ山とあるのにワケの分からない作家のつまんねー作品を課題曲と称して楽譜を売りCDを売り、指導者も売る。そしてそのつまんねー曲をこれでもかこれでもかと練習させて、コンクールで「勝つ」ことに全員が腐心する。勝てば官軍、音大には入れるし指導者にもなれる。事もあろうに無かろうに音楽の世界で野球みたいに勝った負けたの順位格付けの世界を演出し、そこには本当に音楽を楽しもうとか自分たちの音を追求するとかの姿勢もセンスのかけらもない。この自分にしてからに、高校2年のときのクソつまらねー課題曲が未だにトラウマのように頭にこびり付いていて、いつしか無意識のうちに思わず口ずさんでいることがあったりして酷くクヤシイ。それはまるで調教された猿と一緒で、好きでもなんでもないのに身体に染み込んでしまっているのだ。あのくそ忌々しいへっぽこ行進曲が、オレ等の世代以外の誰もが知らない迷曲が・・・。
 重ねて言うが、人は自由でありたいとか民主主義の世の中だとかいうくせに、組織・システムに加わりたがりそこに隷属して安住を求める。くそっくらえ、だ。死ぬときは皆一人だろうに、何で退職後の生活だとか死んでからのことを心配するのだ? どっちみち遅かれ早かれみんな死ぬのだ。隷属を求めるから、管理する側のやりたい放題になるのだ、バカタレ。
 もう一度、チラシを見て欲しい。このクラリネットリサイタルは24回目になる。彼は24年間、毎年欠かさずにリサイタルを開催している。誰の援助も受けずに独力で赤字になっても。こういった活動を続けているのは、音楽の世界に於いてクラリネットに限らず彼以外にはこの日本中にいない。これが本当の自由だ。一人で飯を食っていくことを実践しているから、彼の言葉には説得力がある。文句を言う相手が会社の上司とか自分の待遇とか自分の将来ではなく、日本の音楽システムに対するそのものなのだ。これは、彼があくまで真にフリーであるからこそ説得力がある。オレが遠ざかろうとしているシステムの、さらにもっと遠くを見据えたところにその意志があり自立している。いっそ、すがすがしい。
 日々の生活にかまけて見失いそうなことを、こんな友人の来訪でまた思い出し勇気をもらえた。良い友人とは慰め合ったりもたれ合ったりダラダラと酒を飲んだりすることではなく、刺激を与えてくれる人物のことだと本当に思う。
 彼は、病気で入院中の母親を見舞いに帰ってきて、5時過ぎの新幹線で日帰り、まさにトンボ帰りしていった。もっと話したかったし一晩ぐらい酒を酌み交わしたかった。自分は彼に何の刺激も与えられないけれども、帰ってきたときに真っ先に立ち寄ってくれるだけでも幸せだ。24回目のリサイタルも、絶対に成功して欲しい・・・。
 ・・・と少し持ち上げすぎた感じだが、おい行、42歳にもなってから16歳違いの26歳の美人をもらって、53歳の今でも小学生を筆頭に3歳の子供がいるなんて、何て羨ましいようで大変なんだ? お前、還暦のときに下の子供はまだ10歳だぞ、成人式には70歳だぞ、ああ気の毒に気の毒に、と少しはこちらも優位に立たないと。
 しかし今日は暇で商売はゼッ不調。けれどもとってもいい日だった、いいものを得た。彼が帰ったあと、まだ営業時間中だったが店の蛍光灯を全部消して電球の間接光だけにし、1970年の大阪万博のときに来日してその一週間後ぐらいに亡くなったジョージ・セル指揮クリーブランド交響楽団演奏のシべリウス作曲交響曲第二番をフルボリュームで聴いた。聴きながらこれを書いて、泣きそうになった。
 いい友は、いい音楽は、何事にも代え難く大切なものだ・・・。
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ha-ru 52/within a 500 meter radius
- 2007/03/27(Tue) -
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 昨日は、久し振りの快晴。気温も上がって10℃を越えた。
 そこかしこに春の息吹が感じられて、なんか気分までもウキウキしてくる。
 自分は、取材や依頼仕事以外のプライベートな写真は、ほぼ自宅から半径500メートル以内で撮影している。ほぼというより、ほとんど90%以上がそうだ。犬の散歩の時とか天気の良い日には仕事の合間にちょこっと裏に行って、10分以内で帰ってこれる範囲の写真だ。
 この半径500メートルという範囲が、じつに多彩な表情を見せてくれる。
 裏手には豊富な涌き水と朝の太陽光を真正面から受け止める「帰帆場公園」が有り、四季折々の自然の表情を見せてくれる。野草や野花、そして梅に桜、椿にモクレンにタンポポに水仙などの多彩な植生がが時間差攻撃で咲き誇る。
 このように自然にも恵まれているが、県内有数の繁華街「青柳町」も半径500メートルの中にある。この「青柳町」は、広瀬川という小さな川縁を中心にタイトにコンパクトに飲食店が集結した地域で、その数500軒とも700軒ともいわれ、花巻や水沢など近辺の市町村からもお客様が多くみえる。この界隈だけで一杯飲み屋から居酒屋、スナック、カラオケ、バー、そしてイタリア料理にフランス料理、焼き肉にラーメン屋までありとあらゆるものが揃っているので、一次会から二次会三次会、そして深夜のラーメンまでが歩いてちょこっと移動しながら全てまかなえるので便利なのだ。いわば、飲食店の帰帆場公園状態なのだ。
 そして北上駅前もその範囲以内だし、諏訪神社や中心商店街、北上で唯一のデパート「さくら野」近辺も含まれるので、わざわざ遠くに出掛けなくても被写体には事欠かない。
 よく世間には、紅葉シーズンになると八甲田の奥入瀬渓流に行くとか、四季折々忙しく観光地を訪れる人もいるが、観光地というのは美しく見せるために人間が管理している地域だから美しいに決まっている。何もそんなところまで行って人混みに紛れて必死になって撮影したって疲れるだけしょうもない、とつい考えてしまうから、まず行かない。逆に、500メートルの範囲での定点撮影を続けると、いろんな新しい発見や驚きがある。春は春でも、去年と今年の春では全く違うのだ。10年以上にわたり同じ撮影スタイルを続けているが、全く倦む事がないのだ。
 今年も新しい春がやってきた。ヒメオドリコソウもオオイヌノフグリも、小さい身体に太陽を一杯に浴びて自分を主張している。桜のつぼみも大きくなってきた。
 ワクワクドキドキする春が、今年もまたやってきた・・・。
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ha-ru51/overslept
- 2007/03/26(Mon) -
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 昨日の日曜日、朝起きたら8時半だった、二人して。今は春の需要期ってことで無休体制、日曜日も9時開店なのに1時間半以上も寝坊してしまったのだ。
 土曜日の夜に、春の割にあんまりヒマだからよし一丁気分転換だっ、とばかりに久し振りに二人して青柳町方面に繰り出したのだが、日本酒をヒヤでしこたまやっつけて起きれなくなったみたい。何が気分転換だ、寝坊して具合が悪くてむしろ逆効果だ・・・。
 行ったのは「渡来」。マスターは小・中学校の同級生で、彼は黒工の時にキャプテンで花園に行ったラガーメン、そしてその息子も一昨年に黒北で花園に行っているラグビー一家だ。だから店名も「渡来」ってわけ。
 このお店は、blogでも再三取り上げているが毎月28日に同級生の「無尽」をやっている場所で、「無尽」の時は4時間も5時間も居座って、最終的にはマスターも加わって呑んで騒ぐのが通例だ。今回は、歩いて400メートルぐらいで比較的近いし、ほんの寝酒代わりの気分で行ってみたのだが、これが最終的には選択ミスだった。北上のラグビー協会だかの総会があった後で、ラガーメンが大挙して店に来たのだ。
 元々このお店はラガーメンを中心にいろんなスポーツマンが集う居酒屋だが、自分のような繊細な芸術家タイプ(?)が「ああ、生まれてこなければ良かったのだ」と太宰治みたいに呑むのとは違って、ひたすらにパワーと体力で認定トライを取るような呑み方騒ぎ方をするタイプが圧倒的に多い。
 昔はいざ知らず、最近は酔っぱらって翌日に何も覚えていないということは良くあるが呑んでる時に意識不明、気を失っても呑み続けるということはできなくなった。別にできなくなったからってこんな事、恥ずかしいことでも反省することでもなくて、むしろそういう人が恥ずかしがり反省しなければならないのだが、そうなる前にお酒が呑めなくなってしまうのだ。だから呑み過ぎてもどす、ってこともほとんど無い、そこまで飲めなくなったのだ。
 ああ、泥酔して新宿署のトラ箱に一晩お世話になったり、起きたらゲロまみれで頭に枕がくっついてきたなんてのは誰のどこの話しだ・・・。
 それが、この元ラガーメンのメンメンのタンメンのミソラーメン、まるでフォワードの第一列でスクラムを組んでいるように、ひたすらに体力と気力の勝負状態で酒を呑み続ける。しゃべってることはとうに呂律が回らず会話もまったく成立しないのだが、ラグビーボールのように不規則回転しながら談笑し、かつ呑み続ける。テレビでは女子フィギアの世界戦が放送されていて、ミキティのコスチュームを見ては「TバックだTバックだ」と大喜び、何が「ラグビーは紳士のスポーツだ」だバカたれ、オレもこの時は一緒に喜んだが・・・。
 とてもじゃないが、オレの乾杯、じゃあなくって完敗。終いには「オレの酒はオレの酒、オマエの酒はオレの酒」状態になり、やっとラグビー協会の半分が帰る時にはマスター勘定できず、2,000円通しの割り勘になったようだ。一番ワケのわからなかった人物はその後も居残り、まるで「熟睡している人が目を開いてしゃべってる」的な状態であった。まるで体力だけで生きているみたいだった。
 半数がいなくなったタイミングを見計らって勘定すると、4,000円。何だ同じく2,000円通しだオレ等も。そんなはずは無い、一万円近くは飲み食いしたはずだが、今日のマスターは「一人2,000円」しか計算できないのかもしれない、しめしめラグビー様々だ今日はトクしちゃったと大満足して寝たら8時半まで目が覚めなかった、と言う次第。
 ああ、夢にまでビールと焼酎が出てきた、つーことで、そんなイメージの写真を本日は掲載してみました・・・。
 
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ha-ru 50/mon-mon
- 2007/03/25(Sun) -
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 で、どうしたらいいんだ・・・。
 っていうか、何がドーなっているのか、おせーて。
 2階のドアーをおもむろに開けると欲求不満のもんもん熟女がセクシーなピンクのスケスケのランジェリー姿で紫色のスポットライトを浴びて「いらっしゃ、い・・・」とか言いながらウインクしながら出迎えてくれるんだろうか(わ~い、初めて絵文字なるものを使ってみた・・・)。
 それとも角刈りの高倉健に似た任侠道一筋まっしぐらのお兄さんが上半身むき出しでドアーに向かって背中の倶利伽羅紋紋(くりからもんもん)を見せながら「らっしゃい!!」とドスを構えながら威勢良く迎えてくれるのだろうか。
 書体から推察するに、これは比較的新しめの「DFGクラフト墨W9」で毛筆墨文字の崩し書体だから、崩し文字というイメージからは前者のスケスケランジェリーの可能性が高い。高倉健の場合は、清く正しく律儀な明朝体か楷書体か教科書体でなくてはならない、ハズ、だ。
 するってーと、入場した後はどうなるんだろう。一緒に悶々しなくてはならないのだろうか、悶々しているうちにビール一本5,000円とか請求されるのかしら。心配だから、行く前に電話したら「ハ~~イ、スナックもんもんよっ」とか言うんだろうか。ここの経営者は履歴書に「スナックもんもん経営」と書くのだろうか。そしてその子供たちは「うちのお母さん、スナックもんもんっていうお店やってるの」と友達に言うんだろうか。代行を呼ぶときには「スナックもんもんまで一台」と言うんだろうか、それより何より、「オレの行きつけのスナック、もんもんに行こうぜ」とか言って仲間を誘うような勇気のある人はいるのだろうか。
 ああ、考えれば考えるほどワケが分からない、黄色い階段も何かアヤシイし、春めいてきてこっちまで悶々してくる・・・。 
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ha-ru 49/ swan 6
- 2007/03/24(Sat) -
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 一日中膝に湿布してサポーター巻いていたら大分楽になったので、昨日の朝散歩を復活した。復活と言っても一日休んだだけなのだが、何となくスッキリしない。こうこうしなければ、と律儀に考えすぎるとボケやすいそうだし、柔軟性のないジジイになりそうだが、毎日の習慣が途絶えると何となく居心地が悪いのも事実だ。
 子細に検証してみると、どうも膝が逆に曲がろうとしてその時に激痛が走るみたいだから、なるたけ膝が伸びきった状態にしないことが肝心のようだ。年取ってくると、生きていく上でちょっとした工夫とかコツとかが必要になるってことだな。こんな事でいちいち落ち込んではいられない、直らないものは直らないのだ。
 で、白鳥が気になったので、またコンビニでパンを買って北上川の川岸へと向かった。
 今回は食パンがあったので、手がベトベトギトギトしないで済んだ。一口食べたらさすがパン屋の山崎、とても柔らかくて美味しかった。
 何故か白鳥の数が増えていて、水曜日には27羽しかいなかったのに40羽近くもいた。それに、前回は空を飛んで近づいてきた白鳥たちは今回一羽もいなくて、みんなしてユルユルと泳いできた。
 エサの取り合いは、いつものように熾烈を極めた。写真のように相手を威嚇するものもいた。鴨も必死で食らいついてくる。
 「もうほとんどいなくなっちゃったんだろうな」と思って様子を見に行ったわけだから、エサは全く足りなかった。全部の白鳥に与えることはできなかったし、迂闊にも鴨にも2片ほどのパンを横取りされた。
 julieはいつものように嫉妬して好きでもないパンをねだったり、狂ったように吠えたりすることなく大人しくお座りして待っていた。ツレが「学習したんだね、賢くなったんだね」と言ったが、さてさて。
 ひとつだけ言えることは、季節は少ずつ春めいてきていて、julieにも暖かい風が感じられたのかな・・・、ってこと・・・。
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ha-ru 48/gonalgia
- 2007/03/23(Fri) -
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 何のきっかけでそうなったかは分からないが、昨日の朝起きたら久し振りに左膝に激痛。朝の散歩もままならず、ツレ一人で行ってもらった。
 そんなわけで、昨日は写真も撮らなかったから、昔のを引っ張り出してきて、これは何の意味もなく壁紙とかイメージカットの世界。それにしても手抜きで、ライトボックスの上にJIM BEAMのブラックのミニチュア瓶を置いて、何か色気が足りないからそこら辺から赤い花を見つけてきて、そのままパチリ。ラベルが全然引き立ってないし上の方はスッコ~ンとぶっ飛んでいるのだが、ウイスキーの色とボトルの影がまあまあキレイでしょ、的なやっつけ写真だ。新藤カメラマンが、今月のテーマ「お酒のボトル」で」作品を募集しているが http://shindo-s.com/  とてもとても及ばぬ世界だ。あれ、勝手にURLを紹介してもいいのかな? だめだったらそっと教えてください、削除しますから。・・・と言っても誰も読んでないからどうでもいいか、この場合。
 そんでこのヒザ痛なのだが、それは今から20年と少し前に花のお江戸は銀座にある山野楽器というところに務めていた頃のこと。会社のスキーツアーで名前だけはインターナショナルで実際は温泉宿スキー場の草津国際スキー場に行ったのだったが、当然の如く岩手の山猿代表のオレはスキーが一番上手で、その日開催の「ナスターカップ」という草レースに出る羽目になってしまったのだった。オレはイヤだ、と言ったのだが、何故か会社の期待を一身に背負ってしまったのだった。
 さて、いざレース。40人ぐらいが開店協議、じゃあなくって回転競技でタイムを競うことになったのだが、このド田舎温泉スキー場、ゴールを計測する機械が故障してしまい、何とオレたちは北風吹きすさぶ山の上に30分以上も取り残されて待たされる羽目になってしまったのだ。
 当然の如く身体は冷え切り筋肉も固まる。一番スタートだったもう一人の同僚は、嫌気が差して山を下りてしまい、会社代表はオレ一人。ゴール地点では仲間がまとまって応援、目を輝かせながら見守っている。プレッシャーを感じながら止めるわけにも行かなくなり、冷え切った身体で勢いよくスタートしたのだが、身体が思うに任せず転倒、スキーのテールが斜面に突き刺さり身体がねじれたなと思った瞬間に、左膝に激痛が走ったのだった。
 その夜は、パーティではしゃぐ仲間を尻目に布団の中でウ~ンウ~ン唸り、翌日地元の病院に直行、即入院となった。
 しかし不運は続く。ド田舎温泉スキー場でエライ目にあったと思ったら、今度はヤブ医者が登場。「内出血により一ヶ月間ギプス固定」という事で膝以外は元気はつらつな自分は、同じく腰以外は元気アキレス腱以外は元気足首以外は至って健康なムンムン男臭い連中6人の相部屋で一ヶ月を暮らし、その後ギプスを外しマッサージなどのリハビリを開始したのだが、いつまでたっても膝が真っ直ぐに伸びない。医者も「変だな」と言い出し、もう一度レントゲンを撮って眺めながら「あらら、骨折してたんだ・・・」だと。
 そんで、細かい骨の破片が膝の関節の中を漂っていて、ある拍子に当たり所が悪いといきなり激痛が走ってしまうのだ。
 そしてそして踏んだり蹴ったりの真っ最中に、今度は人事で、当時所属していた海外事業部から銀座本店楽器課への移動を通告され、「オマイラに勝手にオレの人生を左右されてなるものか、オレのことはオレガ決める」と、極めてサラリーマンにあるまじき態度表明をして退院するやいなや辞表を提出してしまったのだった。
 その後一ヶ月、幼児だった長女と毎日遊んで暮らし昼からビールを飲み、カネが無くなってからヤレヤレと「週刊就職情報」を買って、時折襲い来る膝の激痛に耐えながら一番最初に目にとまった「文化企画」といういかにも胡散臭そうな名前の広告代理店の門を叩き、嘘八百並びたててまんまと入社に成功したのであった。ああ、あの仕事しないカネがない、けれど毎日子供と遊び昼からビールを呑むあの一ヶ月は、我が人生に於いて最高の一ヶ月であったな。
 その後その広告代理店で酷使され、今じゃ大先生の京極夏彦、本名大江勝彦と一緒に仕事をし、同じ経営者の出版社に務めてサーファー気取りして我が東京人生は終わるわけだが、帰郷する前に膝を何とかしようと川口の病院にいる日本の膝の権威の所に行き、「手術すれば本当に直るんですか?」と聞いたらえらくプライドを傷つけられたみたいで「直るとも!」と力んでいたが、検査入院して下半身麻酔して膝を切開して中を調べたら、「やっぱ、直んないや・・・」ってなカンジでサジを投げられてしまった。
 そんで北上に戻ってきてからもいきなしの激痛に度々見舞われ、何軒か病院に通ったし、ムリして自転車レースに出るために練習しすぎて、レースの前日に膝が曲がらなくなったりとあれこれしたが、友達の医者がレントゲン写真を見て「なんじゃこれ、真っ白だ、直らね、ますます年取ると悪くなるぞ」とまるで本人がそこにいないかのように優しく正しく教えてくれたので、その後はだましだましの生活をしていた。
 それがこの5,6年はそんな膝を気にすることなく、激痛に見舞われることもなく、ほとんど無意識にしていられたのだが、昨日、いきなりの再発であった。
 この膝の痛みが出る度に当時のことが思い起こされる。人生に「もし」は無いと言うが、もしスキーツアーに行かなかったら自分はその後どうなっていただろう、もしあそこでレースを止めていたらその後どうなっていただろう、もし山野楽器を辞めていなかったらその後どうしていただろう・・・。
 人生には何回かの転機があるが、自分にとってはこの膝の骨折が、今までの人生における最大の転機であったような気がする。だから、膝が痛むとつい思ってしまう、もしあの時・・・。

 ・・・ああ今日も字を一杯書いて心のリハビリ、精神の安定が図れた、さて仕方がねー、ボチボチ仕事でもするか、ってか・・・。

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ha-ru 47/day of the spring equinox
- 2007/03/22(Thu) -
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 「暑さ寒さも彼岸まで」と言うが、昨日のお彼岸の中日に小雪混じりの肌寒い中お墓参りに行った。
 北上に戻ってきて17年になるが、この間、誕生よりも多くの死に巡り会ってきた気がする。
 まず帰ってきて間もなく、三女の花美が原因不明の病でわずか一歳の命を終えた。
 今年高校に進学する末っ子の晴美が生まれたときは、一緒に暮らして初めて生まれた孫だったので「初孫のようだ」ととても喜んだ父も他界した。それに前後して、父と仲の良かった姉の旦那さんも亡くなった。
 同じお寺に墓があるが、一人娘が神奈川に嫁に行ったために今では親戚がそのお墓の世話をしている父の兄、そしてそのお嫁さんもこの間に亡くなり、家だけがぽつんと残された。
 母の母、つまりおばあちゃんも3年前に、あと一ヶ月で100歳の99歳と11ヶ月での大往生を遂げたし、今年になってからは親戚のおじさんも亡くなった。
 嫁さんの方に目を転じれば、晴美を連れて里帰りしたときに晴美をお風呂に入れてくれたおばあちゃんが、その一週間後に亡くなった。晴美をお風呂に入れたのが最後の仕事で、晴美が重すぎたんだと後で笑い話で言われた。15年ほど前のことだ。
 義弟の美人な嫁さんが亡くなったのが9年前か。美人薄命そのものだった。
 この間、誰か生まれたっけ・・・?
 花美が死んだときは、自分の子供が死ぬという体験に、世の中でこんな辛いことが他にあるのだろうかと身を切られるような悲しさを覚えたものだが、時間の経過とともにそれも次第に薄れていった。まさに、時の過ぎ行くままに・・・。物事を忘れるということは弱点でもあるが、神様が人間に与えた大いなるの優しさでもあると思う。人間、辛いことも楽しかったことも忘れるから、またやっていける。
 「現在」は瞬く間に「過去」へと転じる、果たして現在という時空間など存在するのかと言わんばかりに。
 そして、時の経過とともに知己の姿が一人二人と遠のいていく、そしてやがては自分も・・・。
 できることは、花を手向け手を合わせただ無心に祈ることだけ・・・。
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