a-ki 60/itachi gokko bluesman
- 2006/10/31(Tue) -
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 今日で10月もお終い。この月末は世間の人並みに、自分も多忙な日々だった。
 思えば、8月18日に行きつけのA医院に行って「いつもの、Wのオンザロックで」とバーボンのジムビームをオーダーした時に、じゃあなくって、先生のいつものパソコンに、前回の血液検査のデータが表示された時に、だな正確には、「当店には最高の、幻と言われるバーボンがありますがそちらでいかがでしょう」と言われた時に、じゃあなくって「当医院開院以来、最高の中性脂肪の数値が出ました、おめでとうございます。もうすぐ血管がブチ切れますよ」と事務的に、はたまた冷静に言われた時に、すっかり怖じけつき、、8月の残りの13日間で酒を飲んだのは、26日に町内会の集まりで公民館で飲んだのと28日に同級生の会合で飲んだのと、たったの2回きりだった。
 そして9月に入り、恐怖心は少し収まったが血液検査はだいたい2ヶ月に1回で次回、A医院に行くのは、薬が無くなる9月20日頃の予定だから、それまでは節制して、「酒をやめれば全てが治る。血圧もガンマ何とかもすべて酒のせい、他に何も要因はない!」という以前からの自分の主張の正しさ(?)を証明すべく、20日までに本格的に酒を飲んだのはツレの誕生日を含めて3回のみ。つまり、この1ヶ月間で酒を飲んだのは、たったの5回だけという飲酒を始めた18歳以降の我が人生において(訂正:20歳以降でした、お詫びして訂正します)、まったくもって初めての画期的な記念すべき1ヶ月となったのだった。
 以前に、スキーでポールをくぐってて転倒し、左膝を骨折して1ヶ月ほど入院したことがあったが、その時も3日ほどはショックでしょぼんとしてたが、その後はベッドの下にNIKKAのピュアモルトというウィスキーを隠し、ほぼ毎晩ストレートで飲んでいた。このウイスキーは瓶が小さくて、隠しやすいのが気に入っていた。飲むと血の巡りが良くなって、骨折した膝がドクンドクンジンジンとし、治りも遅くなると言われたが、どうせしがないサラリーマン、もらう給料に大差なし、ゆっくり休んでやれ、などと思っていた。骨折したスキーレースが会社のスキー旅行中のイベントで、いやいや出場させられたことも、そんな気分を助長していた。
 入院したのは地元の整形病院の3階で、何故か隣に赤提灯があった。需要があるということだろう。
 入院したのは確か6人部屋だったが、整形外科の患者という人たちには、末期のガンだとか脳卒中で意識不明の重体だとか、そういった劇的に深刻な人たちがいない。ほとんどの人が骨折だとか腰が痛いだとかで、体調的には健康、口も達者ってな感じの人が多い。定期的に腰痛になって、労災でいい思いをする、なんて人も当時はいた。
 つまり、膝とか腰とかの体の一部が不調なだけで、他はまったく健康そのものだから、病室がやたらと元気で男臭い。元気がみなぎっている。だから、日中は退屈で退屈で退屈で仕方がない。用もないのに話しかけてきて、一日中生い立ちや自慢話をする人もいる。あんまりめんどくさいから,一日中背中を向けて文庫本など読んでると、「お、勉強家だな芥川龍之介にでもなるのか?」などとのぞき込んできたりする。
 そんな元気な人たちだから、夜になって検温が終わり消灯時間になると、一人二人とモゾモゾモゾモゾし始める。隣の赤提灯へ一杯やりに行くのだ。需要源は、ここにあったのだ。この病院は3階建てだがエレベーターなど無い町医者で、夜のお楽しみに出掛けるには、階段を利用しなければならないのが不便だが、健康で退屈な男どもには、赤提灯の誘惑の方が勝る。
 そしてある夜、悲しめない悲劇が起こった。ほろ酔い加減で戻ってきた患者さん三人のうちの一人が、階段を踏み外して落下してしまったのだ。
 彼は、確か左足の靱帯を損傷して松葉杖をついていたのだが、転倒時にうまいことに右足を骨折して両足不随になってしまったのだった・・・。
 今日も話が横道にそれてしまった、何の話をしてたんだっけ・・・。
 えーっと、そんで元に戻すと、9月20日に採血される時、自分の血をじっくり観察したのだが、心なしかいつものどす黒く濁った感じではなく、透明度が増してサラサラしている感じがして、心の中で「よし、いくぞー」と叫び「雪国」を唄った、♪好きよ~あなた~今でも~い~まで~も~・・・♪。
 しかし、ここで問題が生じる。結果が分かるのが、35日後なのだ。それまでオレはどうすればいいのだ。あくまで結果が出るまで今までの節酒生活を継続すべきか、いや、自説は正しいからここで多少飲んでもOKさ、またダメになったらやめればいい、と考えるべきか・・・。
 ・・・後者にした。ま、以前の様に毎日毎日というのはさすがにやめたし、この1ヶ月ほどで、そんなにも欲しなくなったのだが、晩酌を極力控え、会合とかでは心おきなく飲む」というスタンスで行くことにした。  
 そして、24日の結果発表日を迎えたわけだが、その日のblogにも書いた様に、中性脂肪は正常値まで激減、その他の数値も改善を見せたが、肝機能は1ヶ月やそこらで急激には改善されないという事で未だに黄信号、という結果で、自説は半分だけ証明された。
 しかし、その24日を前後して、その週の22日から28日までの7日間で6回も飲み会があり、ついには28日にゲ○穿いてダウンし、その勢いで29日にはさすらいのジャンキー・ブルースマンと化したのだった。
 こうなると、次の血液検査は11月の28日頃で、月末のバタバタした時だから、またしても、ドロドロの元の木阿弥?
 そうか、この1ヶ月後に結果が分かるというシステムがいけないんだ。これをを変えて、次の日に結果を知るという方法にしないと、イタチごっこで良い悪い良い悪い良い悪いを繰り返すのか。さすが医者だ、いいシステムを考えたものだ、チキショーと小梅太夫も金切り声を上げるくやしいシステムだ。
 まっ、月に一度、同級生で幼なじみのA先生と情報交換するために行くと考えればいいか。このA医院には、多くの同級生が通っていて、待合室で同級会ができる、と冗談言ってるほど。だから彼ら彼女らの最新情報がA医院には満載なのだ。その授業料と思えばいいか・・・。
 お酒をやめて運動して規則正しい生活をすれば、それで済む話だが、オレは永遠にジャンキーなブルースマンだ。当分の間は、少し良くなって少し悪くなってまた少し良くなってを繰り返す事にするとするか・・・、あ~あ、明日から、もう11月だ。
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a-ki 59/good doctor
- 2006/10/30(Mon) -
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 昨日の朝、右目が赤くなってしまったが、今日になっても治らない。
 もともと自分の目はアレルギーが原因とかで、6月とか10月の初め頃とかにいきなり目が真っ赤に充血する。もう10年以上続いていて慣れっこなのだが、今回は時期がちょっとずれているような気がしたので少し心配した。
 土曜日の飲み過ぎによる充血でなければいいなと思いながら、その宴会の席上で、長年通い慣れたT眼科が医院を辞めた、という話を聞いたばかりだったので、そちらの方がより心配だった。
 いつも目が赤くなると、T眼科に通っていた。市内にはO眼科というとても繁盛している医院があるが、とにかく繁盛しすぎで、半日待ちは普通、下手すると朝一に行って午後に帰ってくるなんてことが普通なのだ。一度だけ浮気をして行ってみたが、いろんな検査をしてくれたのはうれしかったが、待ちくたびれた印象の方が強く、それ以降は行ってない。
 T眼科は、高齢なT先生が一人と、ずーっと長くいる看護婦さん、いや看護師さんというのか今は、でも看護婦さんの方が似合ってる女性が3人ほどいる医院。
 ここは、簡単に言うと空いている。午前中はまだしも、午後の部の始まる2時を少しだけ過ぎた頃に行くと、ほとんど待たずに診てもらえる。待つのは、先生が奥の別室から出てくる間だけだ、と言っても過言ではない。
 診察方法もシブイ。まずは視力検査だが、あの昔懐かしいスプーンの
すくう部分が平らになったような銀色の器具で片目を塞ぎ、5メートルほど先の壁に貼られた文字を、上の大きな文字から順に下に降りて読むというヤツだ。まず最初に、左目をスプーンもどきで塞いで右目で右端の列を読む、そして次に右目を塞いで左目で右から2列目を読む。このパターンはいつ行っても同じだった。
 記憶が確かなら、通い始めて10年以上、壁の文字盤は変わってないから、年に2,3度の通院でも、ほぼ暗誦できる。ちなみに、自分は右目の方がよく見えるから、右は1.2位にしておいて、左目は0.7位にしておいて、その次を分かりませんというのがパターンだった。まっ、T眼科でも赤い目をしてきた自分には、視力検査などどうでもいいみたいで、何度検査してもその結果どうのこうのということは一度もなかった。 
 そして、いよいよT先生に診ていただく段階だ。
 診察室の一番奥で先生は待っていて、その前の丸い椅子に座らされる。看護婦さん、いや看護師さんが後ろに立って肩をそっと押さえるように手を添える。逃げなどしないのに・・・。T先生は、優しく「どうしました・・・」と聞いてくる。この目を見れば赤いから分かりそうなものだが、ひょっとして先生も目が悪かったのかも・・・。
 目を指さしながら、「赤くなっちゃって・・・」とわざとモジモジ君をすると、先生はうれしそうに目を覗き込む。手には長年使い込んだ、ポジフィルムをライトボックスでチェックする時に使うルーペ状の物と、古い木の物差しのような目盛りの付いた物を持っている。
 以前は、先生の背後の壁の左右に、銀紙で星のマークが貼られ、そのルーペ状のもので右目をチェックする時は左の星を見るように、左目のチェックをするときは右の星を見るように言われた。この2,3年前からは、その銀紙の星が近代的な裸電球に変わり、視認性に関してはかなり向上していた・・・。
 赤いウサギさんの方の目を丹念に調べ、T先生はいつもと同じ台詞を言う、「アレルギーですね」。低く説得力のある優しい声だ。そして、春の場合は「ブタクサ」、秋は「稲科」によるアレルギーであることを決まって告げ、雨上がりの翌日に晴れると花粉が飛びやすい、と10年以上にわたり教えてくれた。
 その後、看護師さんが両目にネバネバした黄色と白色の2種類の液体を差してくれて、そのネバネバにより目が十分に開かないうちに会計となり、ありがとうございましたをして自転車に乗るのだ、眼が半分ふさがっているというのに。。そして、いつもと同じ薬を近くの薬局でもらって、いつもと同じ説明を聞いて帰宅するのだった。
 ・・・で、治るのだ。一週間もすると完全に治るのだ。最初のうちは、いつもいつもアレルギーという診断で先生も看護師も病院も古く(失礼)、正直半信半疑だったのだが、いつも治るのだ。
 こうなると、はまる。早い安い旨いの吉野屋牛丼に匹敵する眼科だ。とにかく、すぐ診てもらえて一週間で治るのだから、自分にとっては最高の眼科だ。いくら最新の設備を誇っても治らなかったり、半日も待たなければならなかったりするのは自分的にノーサンキューで、どんな道具を使おうが診断が早くて完全に治れば、その人をこそ名医と呼ぶのではないだろうか、見かけに惑わされてはいけない・・・。
 いつしか自分は、目がウサギになると迷わずT眼科を目指すようになっていたのだった・・・。
 しかして、そのT眼科が病院を閉めた・・・。このショックがどれほどのものであろうか。しかも今、目がいつものウサギさん状態であるからにして、ああ・・・。
 じつは、もっと近所にY眼科がある。Y眼科の先生が高齢と聞いてT眼科にしたのだったが、他にはO眼科とか比較的新しい眼科しか知らない。あんまり近代的な眼科に行って、「アナタの眼はガンです。すなわちガンガンです」なんて古いギャグをまじめな顔して言われたらどうしよう、と真剣に考えた結果、今回はY眼科の戸を叩くことにした「たのもー」・・・。
 午後の部は2時からだった。どうして眼科はどこも、と言ってもT眼科しか知らないが2時からなんだろう。イタリア人みたいに昼食時間が長いのかしら、等と考える余裕はない。今気付いたが、大学病院とかのでっかい病院に行くよりも、個人の病院に行く方が数倍緊張する。何か、理屈とか数値以前の、個人的相性みたいなのが厳然とそこに存在しそうだからだ。
 外のドアを手前に引き、中に入って靴を脱いでスリッパに履き替える。そしてもう一度引き戸があって、そこを横に開けると受付と待合室だった。先客はいなかった。どうしてだろう、眼科から2時過ぎに患者が消えるのは、T眼科しか知らないが・・・などと思う間もなく受付に保健証を差し出した。
 「Kさんはうち初めて?」と中年よりちょっと上の年の女性が聞いてきた。「はい」と答えた。「アナタもオレの顔を見るのは初めてでしょ、お互い初対面だから初めてに決まってます」と言いたくなったが、こらえた。まだ、戦いは始まったばかりだ。
 女性が書類を作る数分間、見たくもないテレビをボーッとして眺めながら待っていたら、女性が手元のブザーを鳴らして先生を呼んだ。診察室に案内されて、先生が別室から出てきた。何故眼科の先生は、必ず別室から出てくるのだろう、他にT眼科しか知らないが・・・。等と考えている余裕はまだ無い。
 高齢だと聞いていたので、どんな先生が登場するのか内心ドキが胸胸だったのだが、先生は足取りも軽やかに颯爽と登場した。そして、 「どうしましたか?」と聞かれた。見れば分かるだろうに、なぜ見て見ぬふりをするのだろう眼科医は、T先生しか知らないが・・・。
 Y先生の商売道具はT先生よりもやや近代的で、金属の器具にあごを乗せて眼に光線を当てられたり、視力検査も同じ様な仕様であったが文字盤の読ませたいところに光が付く仕掛けであったりした。そして先生自らが、眼にネバネバしない液体を差してくれた。
 その間、一人来客があった。新しい暖房器具の配達に来た人だった。先生は待ちかねていたみたいで、「一週間もすれば直るから」と言い残して診察室を離れ、新しい暖房器具の置き場所やら壊れた物の処分やらをてきぱきと指示していた。顔は見えなかったが、声が本当にうれしそうだった。
 先生がいなくなって、先の女性が診察室の違う椅子に座るように自分に言った。目の前の机の上には卓上ライトのような物が置かれ、中には電球の代わりに電熱器のようなコイルが幾重にも巻かれ、オレンジ色の熱い光を放射していた。「その光を眼に10分当ててください」と言って、タイマーをセットし女性は自分の席に戻り、すぐにまた先生の指示で新しい暖房器具へ灯油を入れたりして忙しそうだった、患者は相変わらず自分一人だったが。
 一人診察室に残された自分に、10分は途方も無く長かった。タイマーが止まっているように見えた。何より電熱器が半端でなく熱かった。思わず眼を閉じたくなるほどだったが、閉じると効果がなくなるだろうと思って我慢した。何たってこの電熱器は、T眼科では体験できなかった唯一のものなのだから・・・。
 さて、眼を火傷しそうに感じながら10分が経過し、やっと新兵器から解放された時、しみじみと思った、「寒い時期で良かったな、夏だったら汗だくになってしまう・・・」と。
 目薬をもらい会計をして外に出る時、もう一人患者さんがみえた。足取りもおぼつかない高齢の女性だった。
 外に出て緊張から一気に開放されたとき、あっ!と小さな声を上げた。病名を聞いてなかったことに初めて気がついたのだ・・・。「まあいいや、一週間で治るって言ってたからそれまで待てばいいだけのこと、きっとアレルギーさ、電熱器の熱射をくらっただけの違いだから、同じアレルギーに違いないんだから・・・」と独りごち、熱い眼をこすりこすり家路についた・・・。
 
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ji-tensha 01/sugo 4hour bicycle enduro
- 2006/10/29(Sun) -
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 今日は、仙台市郊外のスポーツランドSUGOで、「第2回ファンキーエンデューロ3時間&4時間&7時間耐久レース」が開催された・・・。
 SUGOと言えば通常は2輪・4輪のレースが開催される名門サーキットだが、今回は自転車のレース。7時間コースは5名以内、3,4時間コースは4名以内でメンバーを組み、それぞれの規定時間内に交代で走って何周できるかを競うレースだ。
 自転車レースといっても、本格的なロードレーサーで参加する人ばかりではない。ママチャリの部、電動アシストの部、ファミリーの部などもあり、このあたりが大会名の“ファンキー”の所以だ。表彰の仕方もユニークで、種目別の順位による表彰は当然として、ベストパフォーマンス賞やベスト・クッキング賞等というのも用意されている。 
 去年、SUGO30周年の記念大会として行われたのが大好評だったため今年が第2回となり、東北地方で開催される自転車レースの、一年の最後を飾るビッグイベントとして、サイクリストの間では早くも待望の大会となったというわけだ。

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 じつは、blogにも書いたように、昨日は同級生の無尽という飲み会があって、本当にヒドイ目にあってしまったのだった。すべて自分が悪いのだが、つい調子に乗ってしまって、飲んだもの食べたものすべてゲ○してしまったのだ。最後には赤い液体が出てきたから、わっ血だオレはもう死ぐぐぐぐ・・・、と観念したのだが、無尽に行く前に晩酌で飲んだ赤ワインだったので、安心した(?)。
 そんで、朝起きたら右目が充血して真っ赤っか。最悪の体調で朝6時半に起こされ、7時半集合8時出発ということになってしまった。
 出場する仲間のメンバーは、6名で3チーム、すべて4時間コースにエントリーした。朝早く行かなくていい、それだけの理由だ。
 オレは選手として走らないからウチで寝ていても良いのだが、必ずこの手のBIG大会には誘われてしまう。何のことはない、大きな舞台で自分が格好良く走っているところが写った写真が欲しいだけなのだ。年賀状にしたり、引き延ばして便所に飾ったりして喜ぶらしい。それも、タダで手に入るものだから、なおさらに熱心に誘ってくれる。
 そんなわけで、あまりに絶不調だったのだが行かねばならずだったので、1.8㍑の紙パックに入った赤ワインと小型のギターを車に積み込み、後ろの座席でSUGOまでの2時間、ワインをガブガブ飲みながらブルースを唄い、弾いた。何てオレはアウトローでカッコいいんだろと思い、自分にも酒にも気持ちよく酔ったが、同乗した他の3人は迷惑そうだった。
 10時、SUGOに到着。11時40分のスタートまでロケハンしながら散策、すっかりジャンキーなブルースマンと化したオレは、快晴無風の絶好調な天候にも気を良くし、上着を脱ぎ捨てロンT1枚になり、D70に100~300㎜の望遠をねじり込んだ。そして、それから4時間、ひたすら手持ちでブレ・ピンボケ写真を増産しながらシャッターを押し続けた・・・。

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 何と言っても撮影のベストポジションは、選手交代ピットの手前、ダンロップのタイヤのオブジェが半円状のアーチになっているあたり。ピットまでの最後の最後に、なんと10°の傾斜の長~い上り坂があって、選手を待ち受け苦しめる。
 この坂を登り切ったあたりに、走行コースとピットまで向かうコースが分かれる分岐点があって、そこは一般人進入禁止地域なのだが、こんなベストポジションを逃す手はない。すでにアウトロー・ブルースマンと化しているオレは、何食わぬ顔で缶酎ハイを左手に、右手に獲物を狙うスナイパーの武器のような300㎜砲を握りしめ、最終ラインを突破した。こういう時はキョロキョロしたり「入っていいか?」等とバカな確認をしない方がいい。あくまで威風堂々と関係者になりきるのだ。どうせその辺にいるヒトも、臨時のバイトとか季節従業員に違いないと思うのだ。あいつ等だって心の中では「ああ、何てつまらないんだ、早く終われ。自転車でヒイヒイいいながら走って何が楽しいんだこのドMめが、クルマがあるだろクルマが、この平成の時代の野蛮人どもめが・・・!」などと思っているはずなのだ、たぶん、いやきっと絶対に・・・。
 さて、進入に成功したら、ヒイヒイいいながら上ってくる選手達を見ながら缶酎ハイをグビグビと飲む。いやー、天気はいいしあまりに気の毒で面白いし最高の気分で酒もうまい! 選手のほとんどはすでに酸欠脳死状態であるからにして、大部分のヒトが自分の存在に気がつかない。これぞ理想の巣内パーというワケだ、と一人ご満悦再びグビグビしながら知り合いを捜しシャッターを切る。たまに気付いてくれる選手もいるが、口を開く気力も無しって感じで痛々しい。下りを颯爽と走る写真なんかクソ食らえだ、このシチュエーションこそが、その選手の一番のベストショットを約束してくれるのだ。下りではスピードオーバーに気をつけるだけで脚を止め、気分は弛緩している、休んでいる。しかし、この辛い登りのすぐ後には歓喜の平坦な直線が待っているから、ギアチェンジして加速していく。その歓喜のギアチェンジの瞬間が最高なのだ。
 そこで約2時間ほど粘って、缶酎ハイもとうの昔に無くなっていたが、ボロボロになって交代のためにピットに戻る選手に「次にここに来る時に、缶酎ハイのお代わり持ってきてくれる?」とは、さすがのアウトローの自分でも、ノドから手が出るほど言いたかったけれど言えなかった・・・。
 もちろん、そんな自分の気持ちを察して、「撮影大変ですね、ノド乾かないですか?」などと気の利いたことを言ってくる選手などもちろん皆無だったし、何よりもオシッコしたくなったので、再び関係者を装い、何事もなかったかのようにその場を後にした。最低の礼儀として、立ちションだけは自制したのだ。
 戦い済んで日が暮れて、チームの成績? 知らん、そんなもの。まったく興味ないし、終わるやいなやササっと片付けて、あまり暗くならないうちに戻って、拓郎の「つまごい」をBSで見ようって事で速攻で帰ってきたから・・・。そんな過ぎたことなどいちいち気にしないのさ、オレの仲間はみんなアウトローのブルースマン、じゃあなっくってチームジャージにも大きく主張しているように、SOUL SURFERならぬSOUL RIDERなんだから・・・。
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a-ki 58/小一時間
- 2006/10/28(Sat) -
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 この写真の方々は南の方の国の出身だろうから、これからこの地方に訪れる寒~い季節の事などまったく関係なく、音楽を楽しんでいればいい。
 まっ、人形を羨んでも仕方がないし、ムリヤリにこの人形に関連づけようとした前振りであることもバレバレ。写真と文章の内容が常に一致することは無い、などと弁解しつつ、とにかく、今日はお店の冬ごもり対策の総仕上げってことで、2,3日前からあれこれ作戦を練っていた計画の最終仕上げを行うべくお店を開けた。
 基本的にお店は北西向きで、なおかつほぼ全面ガラス張りという、冬の寒さを熱烈歓迎するような仕様であるからにして、何をどうしようとも寒い。だから今年は、きっぱりとお店から撤退することにした。と言っても閉店するわけではなく、パソコンその他の事務機器を、お店から隣の協同組合の事務所に避難させて、そちらに冬ごもり活動の主体を置くことにしたのだ。事務所を暖かくして、もし万が一億が一にお客さんが来たら、そちらにご案内しようという作戦だ。
 自慢だが、普段からお客様の少ないこのお店は、冬になるとホント誰も来ない、見事に来ない。
 夕方になって、「今日は吹雪だし誰も来ないから早仕舞いしよう・・・」と少し早めにお店の入り口のカギを閉めに行ったら閉まったままだった、つまり朝からカギがかかっていた、よーするに誰一人入り口を通過したヒトがお客さんに限らず郵便配達とか佐川急便とかクロネコヤマトとかもいなかった、ヒトに限定しなくても野良猫も野良熊もな~んにも来なかった、オマケに家族も外に出て行かなかった、何てことが一度や二度ではなく数回経験している、スゴイだろエライだろ。
 そんで、店を開けるやいなや、M印刷のTさんが11月号のチラシの校正紙を持って飛び込んできた。今日は土曜日で休みなのだが、制作が遅れたのでこのチラシのためだけに出社と相成ったわけだ、気の毒に。校正の戻しは月曜日だから急がなくていいが、明日は仙台のSUGOで自転車の4時間耐久レースがあって、ほぼ一日中その写真撮りをしなきゃならないから、チラシは後で目を通そう、と取り敢えずにしたらヤクさんが北、じゃあなくって、来た。ヤクさんは、隣にある協同組合の専務だ。優しいヤクザだからヤクさんと愛されて呼ばれている、ってなことではなくて、「薬(ヤク)●●」という薬屋さんを営んでていてそう呼ばれている。
 その時点で、今日はほとんど何も仕事をしてなかったが、早速のティータイムとなった。小一時間、不景気話で大いに盛り上がった。
 次に、ノートパソコンを抱えて我らが町の祭典部長、マヅリバガのしんちゃんが来た。しんちゃんはもうすぐ60歳の還暦男だが、みんなに愛されてしんちゃんと呼ばれている。かなり年下の自分がしんちゃんと呼んでも嫌な顔ひとつされず、むしろOK、ってな関係だ。
 しんちゃんはただの祭りバカではなく、町内会の総務部長もやっている面倒見のいい人で、写真を撮るのも大好き。以前から、あるソフトからCDに写真を焼く方法を教えて、と頼まれていたのだが、いきなし連絡も打診もなく今日やってきたのだった。近所でも、ウチはヒマだと思われているらしい。PHOTOSHOPの初歩的な使い方なども教えて(自分も初歩的なことしか知らないから、知ってることの全てだ、つまり・・・)小一時間、お茶を飲みながら過ごした。
 さあ仕事するか、と思ったのも束の間、岩手日々新聞(通称北上新聞)の編集をしているM氏が来店した。明日の自転車レース「SUGO4耐」の打ち合わせのため、というより、先日のピアノ発表会の写真交換で盛り上がり、小一時間お茶した。M氏の奥さんはピアノの先生をしている。
 小一時間が3回も続くと、午前中などあっという間に過ぎ去ってしまった。遅めの昼食を済ませ一服し、チラシの校正を始めた。シブいチラシは予想通りのできだが、細かいミスが多かったので赤入れをして、お茶を飲みながら小一時間が過ぎた。
 その後、やっと事務所のすきま風対策に取りかかった。今日の予定が半日以上も狂った勘定だが、何とかお茶を飲みながら小一時間で終了し、このblogに取りかかった。
 さて、今日は暇つぶしに寒さ対策を重点的にやる予定だったが、結構朝から忙しかったな、と思ったのも束の間、お店の売り上げがほとんど無いことに気がついた。オレはいつもゼニにならないことばかりしている。夜は恒例の同級生の無尽「28会」があって出掛けなければならないから、その会費6,000エンを支払うと、今日のお茶代も含めると赤字だな、こりゃ。
 頭に来たから、南の国生まれのバンドマン達の人形は、寒さ対策のない場所に一冬置いとく事にした・・・、とオチまでムリヤリなblogを、小一時間で片付けた、おしまい。
 
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a-ki 57/hunabatei street
- 2006/10/27(Fri) -
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 北上駅の正面口、左側にある交番とレンタカーの前を通り、そのまま道なりに歩いて、同級生の友人が営む居酒屋「ふなば亭」まで続く通りが、今、紅葉でキレイだ。
 朝の犬の散歩の時に偶然に見つけて、その後晴れるのを待ったが、なかな天は我に味方せず、でドンヨリとした曇りと雨の空模様。
 2回目に様子を見に行った時、青いジャージの上下に身を包んだ、小太りのメガネを掛けた挙動不審なヒトを見つけた。動きが一定せず、進行方向的に目標のある歩き方でもなく、いきなり空を見たり後ろを振り返ったり、それはまるで覚醒剤でもやっているような感じだった。
 昨今、怖いニュースが多いので、いきなり刺されたりハンマーで殴られたりしない様に、身構えながら警戒して恐る恐る接近したのだが、な、なんとその青ジャージマンは、同じく紅葉を撮影しようとしてキョロキョロしているだけのヒトだった。なんだ、とホッとする間もなく、きっと自分も同じことをしているわけだから、そう思われている可能性がある、そいつはヤバイイヤだと思い直し、3回目に行った時には服装だけでも注意しようと、黒いタキシードに身を包んで出掛けた、というのはウソです。
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a-ki 56/グルメなスズメ
- 2006/10/26(Thu) -
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 今年の岩手県内の水稲作況指数は98で、やや不良。全国でも96で、特に9月に九州に上陸した台風のせいで九州は78と13年ぶりの凶作、佐賀と長崎の作況指数は戦後最悪となったそうだ。
 逆に北海道が105と豊作で、これも「新庄効果」である、わけがない。取り敢えずは日本ハムファイターズ、44年ぶりの日本一おめでとう!とにかく、新庄と小笠原ぐらいしか選手の名前を知らないにわか応援だったが、素直に世間と一緒になって騒ぐことができた。どこかの某巨人軍のようにほぼ全員がビッグネームで何億と稼ぐチームが、「常勝」などというレッテルに縛られて身動きできないのと好対照なチームであった。思うに某巨人軍は、毎年優勝しようとするから新人を育成するより他チームから大物を金の力でかっさらって強化を図り失敗しているんではないか。3年とか5年に一回優勝すればいいや、ぐらいに思ってやれば逆に強くなると思うのだが・・・。
 いかんいかん、今日は野球の話では無くて米の話だった。 
 稲刈りも終わって、あの黄金色に輝いていた水田は今、土と刈り取られた後が転々と残っているだけ。けれども良く見ると、写真のような光景に所々で出くわす。
 ほんの30年ほど前までは(30年がほんのかどうかは別にして・・・)、全国のあちこちで見られた光景だ。これは杭掛けと言って、刈り取った稲を杭に掛けて積み重ね、自然乾燥しているのだ。この方法の他に、はぜ掛け(はさ掛け、はざ掛けともいう)といって一本の長い棒を横にして、足を開脚してまたぐみたいに稲を掛けて乾燥させる方法もあった。
 今では、コンバインで稲刈りから脱穀までを済ませ、機械で乾燥させるという方法が主流だから、刈り取られた稲は、あっという間に田んぼから姿を消してしまう。
 では、何故この方法がまだ残っているんだろう・・・。答えは簡単。自然乾燥の方が美味しいからだ。やはり、美味しい物は手間暇かけて作らなければならない、ということか。そして、この方法で作った米は、自家用になることが多いという、何かずるいな。
 その美味しくなる米に、スズメが3羽群がってついばんでいた。キラキラ光る銀と赤のテープが張り巡らされてスズメが来ないようにしていたが、そんなことはお構いなし、大喜びで腹一杯食べていた。
 チュンチュンチュンチュンおしゃべりしながら食べていたから翻訳してみると、「ああ、やっぱりお米は新米に限るね、特に自然乾燥米は一味違って堪えられないってことさ、しかし昔の雀は良かったよな食べても食べても食べきれないほどの杭掛けが合ったんだから、今じゃ探すのに一苦労、グルメの味覚を満足させるのは大変だよ・・・」
 ・・・てな感じでしたよ、おしまい・・・。
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a-ki 55/life in a fast lane
- 2006/10/25(Wed) -
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 昨日はとっても寒かったから、今年初めてストーブをつけた。
 その前に、ジーンズだけじゃヒヤヒヤするので、急遽アンダータイツを穿いたのだったが、時すでに遅しで風邪を引いてしまった。せっかく中性脂肪が画期的に減少して喜んでいたのに、何てこった今だに鼻がグズグズだ。
 昨日の夜は、役員をしている協同組合の11月度「三役会」というのが開催された。自分は三役ではないけれど、事務所がオレんちにあるのでいつもオブザーバーとして強制的に参加となる。昨日は一日中気温が上がらずに日中も10°C以下だったから、会議の始まる夜の7時半の1時間前にストーブをつけ、寒くて雨降りという最悪条件にもかかわらず会議に参加してくれる三役のお偉いさん達をお迎えしたというわけだ。
 議題は、年末年始の売り出し・イベントについて。こういう仕事をしていると、季節を先に先に進まなければならないから、なおさら一年の経過があっという間に感じられる。ついこの前夏のことをしていたのに、もう年末対策だと。
 そして今日は、その協同組合の月に一回、毎月1日に折り込みしているチラシの入稿日。1日に折り込みだから、今日入稿っていうのは遅すぎな感じで、っていうか実際に遅すぎるんだけれど、ま、いつも何とかなって結果オーライ、第1号から15年絶えることなく続いてきたから、今回も何とかなるさオラ知らネェ・・・。
 しっかし、この10月とか11月とかのチラシがいつも悩みの種。なぜなら、夏と冬のイベントの狭間でネタが無いしお金も使えない。必然的に紙面も地味になる。例年だと、紅葉の写真を一杯並べて物量作戦と目の錯覚で、いかにも派手なことをやってるようにカモフラージュしてごまかしていたが、それにも飽きてきたので、今回はシブ~くシブ~く攻めてみた。自分が担当してからかれこれ10年、11月号だけで10回も作っていることになるから、もう目一杯でネタ切れだって仕方ないよね?
 そんな、いくら天才のオレだって、毎回毎回傑作(?)を作れってのは酷な注文さ。ダメならいつでも代わってくれと言い続けて、ほら来月はもう年末の12月号、そしてすぐに「明けましておめでとー」になって、2007年。何かチラシに先導されて人生を急いでるみたいで、カッコ悪いなオレ・・・。
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a-ki 54/元気です
- 2006/10/24(Tue) -
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 こういう写真は、勝手に掲載するとやばい? 昨日のNHKのTV画面を撮影したものだが、肖像権とか何とかに抵触するのかな? 詳しい人教えて、ヤバかったら速攻で削除差し替えするから。
 夕べ、風呂は入ってそろそろ寝ようかな、と思ってたら、東京にいる長女から電話で「NHKでタクローやるよ」とのこと。吉田拓郎が30数年ぶりに、かぐや姫とともに「嬬恋コンサート」を今年やったんだけど、そのドキュメンタリーだった。
 もう、画面にくぎづけ。何とか記録に残しておきたい衝動に駆られ、何故か写真など撮り始めたが、これがなかなかにうまくいかない。今主流のデジタルテレビではなく10年以上前のブラウン管テレビだから、走査線と上手くシンクロしないと撮影画面の半分が真っ黒になったりする。また露出もシビアで、特に白い部分がトビやすい。ズームでは暗いので、シャッタースピードを稼ぐために、F値の明るい85㎜F1.4で何とか撮影できたが、半分以上が失敗だった。
 明けて本日は、朝からずーっと雨。こうなるとどうせヒマだから、まずは朝一でA医院へ。9時からなのだが、30分前の8時半に到着したら一番乗り。同級生のA先生に、「この雨の中ようこそいらっしゃいました」と歓迎された。聞くところによると、雨の日は来院する患者さんが減るのだそうだ。晴天の時より雨で不調になる人の方が多くなると思うんだが、雨だと病院に行くのもイヤになるってことか。でも、そんなの病気じゃないってことじゃない?
 今日は、前回行った血液検査の結果が出る日。血液検査って言ったって、エイズ検査じゃあないからご心配なく。メタボリック症候群という痛くも痒くもない、今話題の旬な病気だ。密かに流行中だから、乗り遅れたくない流行に敏感な方は、メールくれれば罹り方を教えてあげる。
 さて、前々回の検査で中性脂肪が1300オーバーK点越えで、A医院の開院以来の最長不倒距離で金メダルを獲得したのだが、「よく血管ブチ切れないな・・・」と同級生の幼なじみの一緒に修学旅行に行った同じ給食を食べた友達とは思えないA先生の冷たい事務的な対応に一念発起、その後の一ヶ月は節制に節制を重ね、毎日多量の水を飲み、運動不足解消のために朝夕ジュリーと散歩しながら♪お酒は温めの燗がいい肴はあぶったイカでいい~♪と八代亜紀して歌でごまかし、禁酒、ではなくちょっとだけよの節酒にこれ務めたのであった。
 その結果、わが中性脂肪は1300から危険値の200よりさらに低い90まで激減。本来中性脂肪というものは、短期間にこんなに上下するものではなく、こんな乱高下こそ異常体質ではあるまいか、医者に行かねば・・・。まっそれはさておいて、この中性脂肪が増えると、男性は中性に近づくからオカマかホモになり女性はオナベかレズになる、ってのはウソだが、血液がドロドロになり血管がブッチ~ンと破裂するのだ。お~コワっな中性脂肪様だ。
 ちなみにこの地域では、脳の血管が詰まってブチ切れることを「アタル」という。普通アタルと言うと、クイズとか抽選でステキな賞品がもらえて何かうれしいワクワクするというイメージであるが、「○○の親父あだったずじゃ」という意味は、「○○のおとうさんにジャズのコンサートのチケットが当たった」という意味ではなく、「○○の親父さんは脳の血管が切れて倒れた」と言うことになる。ちっともワクワクしないし、軽くアタっても半身不随とか言語障害とかの障害が残るし、大当たりともなると即死も避けられない。だからみんなアタリたくないのだ、ハズレロー!!
 そんで、その他の検査結果では、肝臓のガンマ何とかとかスカイラインGTR何とかとかは相変わらず赤点だったが、中性脂肪が減ってオカマにならずに済んだだけでもOKってことでルンルン気分、外は相変わらずの雨だったが、心は晴々で病院を後にした・・・。
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a-ki 53/blog
- 2006/10/23(Mon) -
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 今日は、朝から雨。さすがのJulieも散歩の待機場所まで出てこないどころか、裏口のドアを開けても、小屋の中から首を出してこちらの様子を伺うことさえしない。柴犬系はそうらしいが、純粋の雑種(?)であるJulieも雨とか水とかを極端に嫌う。
 さて、しばらくさぼっていたので、今日は20日、21日、22日の3日分のblogをまとめて書いた。そして今日の24日分を書いているから、都合4日分の計算になる。
 それにしてもblogと言う媒体は、実によろしい。まっ、たくさんの読者がいてなかば義務的にアップしたり商売がらみである場合は知らないが、このblogの様に勝手気ままに気の向くままに誰にも気兼ねせず、4日分まとめてみたり去年の写真使ってみたり、読んでくれとは頼んでないよ読者を広めることも考えてないよ、みたいな、いわば自分の精神のリハビリ的に適当に書けるのは、今のところこのblogという手段以外にないと思っている。そして、だからこんなにblogが広まるんじゃないか、とも思う、何よりタダだし・・・。
 コピーライターとかだと、まずどんな名文傑作を書いてもスポンサーの意に沿わなければ書き直しの真っ赤か校正が戻ってくる。何度も何度も書き直して結局前に戻ったり、延々と赤字が続いたりすると、ついブチ切れて「なら、最初から自分で書きやがれコノヤロ」とばかりに毒づきたくなる。雑誌の記者、編集者とかでも、スポンサーがいないだけで文字数制限の中で書かねばないし、何より本を売るために読者層に合わせた言葉使いや表現をしなければならない。
 しかるに、このblogというものには、そういった意味での制限がない。4日分まとめようが10日分まとめようが、はたまた2ヶ月休もうが、読む人を意識しさえしなければ、それは全て自分の勝手だ。漢字を間違えようが、文章が下手だろうが、長すぎて読みにくかろうが知ったこっちゃあない。blogをアップするのがタダなら、見る方もタダだから、文句を言う筋合いも言われる筋合いもない、イヤなら読まなければいい、ここに来ないでってな話だ。
 そんな中でも何が一番にウレシイかというと、文字数制限のないことだ。気分が乗ったときは際限なくとりとめなく続けられるし、嫌なときはすぐに止めるか書かなければいいだけのこと。こんなことは、プロの作家もうらやむblogの最大の長所だ。
 けれども、こんなにblogが流行って来るとblogランキングなんてのも登場してきて、盛んに自分のblogの中で「ランキング参加中、ここをクリックしてね」何てことになってくる。たまに大人気のblogが本を出版したりニュースになったりするものだから、あわよくば自分も・・・とか思うんだろうけど、それは何億分の一かの確率。
 よせよせ、そんなことに気を遣わないで、好きなことを好きな時に書き散らかしている方が精神衛生上大変によろしいぞ。その方がfreeだし、文字通りfree(タダ)で使わせてもらってるblogなんだからさ・・・。
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a-ki 52/analog all the day
- 2006/10/22(Sun) -
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 今日は、天気予報では曇り時々雨ってな感じだったけど、朝からモヤっと晴れ気味だったので、紅葉を撮影することにした。
 で、どごさいげばいべ、と考えるも、夕べいつものノンベが3人、約束もしてないのにお店に三々五々集まってきて、午後4時頃から延々10時頃まで恒例の店宴会をやっちまったからにして、出発が11時近くになりあまり遠出も出来なかったので、借金の返済もかねて盛岡へ行くことにした。
 実は、去年の今頃に東京の後輩のカメラマンに折りたたみ自転車を売って、その代金の代わりにせしめたベルビアのポジ30本(オレの商売のパターンは何故か正常でない。物々交換の原始的な匂いがいつも付きまとう・・・)のうち、まだ若干残っていたので、期限切れギリギリガールズのこの時に使ってしまおう、というのが紅葉撮りの主たる目的であった。
 ポジ、とくればフィルムだから、カメラも当然アナログカメラ。幼稚園の運動会の取材以来、再びのフィルム撮影だ、ウレシイ。
 まずは、機材選び。持っている機材の中ではF5に18~35㎜、28~105㎜マクロ、80~200㎜の3本があれば万全、失敗しても絶対にカメラのせいには出来ない組み合わせだ。
 しかし、ここでふと考える。ここが自分のいいところであるししつこいところでもあるのだが、せっかくプライベートの写真をフィルムを使って撮るのだから、もっと楽しいことがしたい・・・、と考えた。
 そこで、まずは同行するかみさんの機材を先行して考えることにする。かみさんには中古のF60あたりが中古通しでいい、では無くって軽くてハンドリングがラクだからいいと最初思ったのだが、ポジでの撮影の場合は露出にシビアになるから、F60の内蔵露出計では?かな、と思い直し、F5に取り敢えず28~105㎜を付けて使わせることにした。さあ大変、そしたらオレはどうしたらいいのだ・・・。
 しかしあわてず騒がず、無いものは最初から無いと思えばいい、これすなわちプロ(?)の鉄則。そこで、どうせアナログならアナログに徹しようということで、20年前から所有しているF3HPに24㎜、35㎜、55㎜マクロのマニュアルフォーカス3本のAi単焦点レンズをラインアップ、究極の不便の塊で勝負に出ることにした。あっ、MD-4のモータードライブ装着だけは許してね、いつも装着状態だし、まさか手巻きだけはお寿司だけで勘弁てことで。それとF3の中央重点測光はかなり癖があるから、ミノルタの露出計は必需品で持って行くことにした。
 さあ、「オレはズームレンズが買えないんだ、オレは手でしかピントが合わせられないんだ、絞りとシャッタースピードは露出計で計測しその後に微調整するものだ」と自分に言い聞かせながら機材を積み込み、いざ出発。イグニッションキーを右に軽くひねると、クルマはドリュリュリュリュ~と重いエンジン音を立てて目覚め、アクセルを一気に踏み込んで北へとハンドルを切った、軽だけど・・・。
 目指したのは、岩手公園。名前が変わるとか変わらないとかもう変わったとか忘れたが、岩手公園だ。
 1時間とちょっとで到着。川徳デパートと岩手公園のちょうど中間あたりの絶好の場所に有料駐車場20分100円なりを見つけ駐車。タワー式ではないので、荷物を取りに行ったり置きにいったりが自由だし、なぜ川徳に近くて良かったかというと、小便が漏れそうだったからだ。
 何も買わずに置き土産だけはしっかりと残して川徳さんにアリガトーと明るく言ってから軽くさよならと手を振ってお別れし、さあ、いざいざ岩手公園へ!
 ・・・ナイ、紅葉がナイごく一部にしかナイ・・・まだ早い。いや、北上と同じでダラダラと紅葉している感じで、すでに黄色いのが終わって散っているのもあれば、ミドリ鮮やかなモミジがあったり、紅葉にメリハリがナイ。こういう場合は公園全体を撮っても仕方ないので、必然的に55㎜マクロの出番が多くなる。
 マニュアル・フォーカスでジリジリとピントを追い込んでいく感じが気持ち良く逆に新鮮だ、ピピっと早いだけが能じゃない、ピントは追い込んでいくものだ分かるかな分かんねーだろうな・・とカビの生えたギャグを挟みつつ、じっくりと撮影する。シャッター半押しでピントが合う、というパターンに慣れているため、何も起こらないのに半押ししてたり、F3のペースに慣れるのにも時間がかかり、1本36枚撮るのにデジタルの3倍以上の時間がかかる、うーん、この感じこの感じ。やっと1本終了して、おもむろにフィルムチェンジ・・・。
 やや、そ、そこでトラブル発生! モータードライブのフィルム巻き上げが作動しない、ついに死んだ~、ピクリとも動かずに背面の赤ランプが付きっぱなし・・・。何度もハズしたり再装着してみたり、バッテリーホルダーを抜き差ししてみたりしてもウンともスンとも言わない、ウン。見た通り塗装もハゲハゲのご老体なのだが、突然死は困る、と言っても動かないものは動かない。
 その時ちょうど、本日一番の光線状態のベスト・シチュエーションだったので、まごまご出来ず「ダメなものはダメ」と割り切り、究極のマニュアル撮影である「手巻き」での撮影に突入! ああ、神様も親切なもんだ、とっておきのプレゼントを用意してくれた、とムリヤリに思い込み撮影を続行する。が、ついつい「巻き上げ」を忘れてしまう。一生懸命ピントを合わせ、それそこだ今だシャッターを押せ、と気分が高揚したまさしくその時にフィルムが巻き上がっていず、ミラーも何も作動せずにスカっとして反応しないあの時の気分・・・。これだけは、常にモードラ装備で撮影をしていた自分には全くの初体験であった。
 20年間F3を使ってきて、トラブルは今回を含めてたったの3度目。
 最初のトラブルは、雑誌編集者時代に北海道の富良野スキー場に取材に行った時。
 ナイターの撮影を予定していたのだが、富良野プリンスでのおしゃれなディナーの時、ついそのゴージャスな雰囲気に負けてしまい、赤ワインを1本ほどお召し上がりになってしまったのだった。その後スケジュール通りにスキーを履いて撮影・取材し、スキー場に現れた野生のキタキツネを撮影して喜んだのも束の間、喜びとアルコールの混声二部合唱により大転倒・クラッシュし、F3は動かなくなった。サブにFM2を持って行ったのだが、そのシャッター音を聞いた担当営業が、同行した電通の社員の手前カッコ悪いやめよと言い出し、そこで撮影を終了したのだった。もちろん記事は、上手にごまかして作った。
 2回目はつい5,6年前のこと。ファインダー右上のシャッタースピード表示がおかしくなった。見てもらったら、レンズ交換のし過ぎでマウントが減り接点不良が原因とのこと。マウント交換2,000円弱で見事に復活した。
 で、3回目が今回。まったく持って丈夫なカメラだ。NASAに選ばれただけの事はある。しっかし、こんな丈夫なカメラばっかり作っていたら商売にならないから、デジタルカメラとか新しいのが出てきて良かったねニコンさん、等と思いつつ、本日のマニュアル撮影会は終了したのであった。
 さあ、ネタに不足はナイ。フィルム2本分で72枚、今日のblogは写真選び放題、早速パソコンにデータを移動して・・・、と思いつつ、あれ待てよ、今日はフィルムだから現像が上がるまで写真がない、ヨーするにアップ出来ない・・・等とごく当たり前の事に気付き、思わず仕方なく紅葉の写真をあきらめ、ぶっ壊れたF3+MD-4を再びアルミのカメラケースから取り出し、店の前のガラス越しに置いてアセアセと撮影している自分なのでした・・・終わり。
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